OUTSIDE IN TOKYO
KALTRINA KRASNIQI INTERVIEW

アルノー・デプレシャン『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』来日記者会見

4. 芸術において、“進歩”というものはない。それでも私は、出来るだけ進歩しようと、
 少しづつ、少しづつ進歩しようと毎日心掛けています。

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質問:監督は、『二十歳の死』(1991)でデヴューして以来、これまで30年間に亘って映画を撮り続けてこられましたが、監督の中で何か大きく変わってきたことというのはありますか?監督の作品には常連俳優と言えるような俳優さんも多くいらっしゃいますが、そうした方々との関係も含めて、何かあれば教えてください。
アルノー・デプレシャン:少し哲学的なご質問なので、残された時間の中で全て答えることは出来ないと思いますが、芸術において、“進歩”というものはないと思っています。絵画で言えば、ラスコーの壁画から、ピカソから、進歩は一つもない、と思っています。でも私は出来るだけ進歩しようと、少しづつ、少しづつ進歩しようと毎日心掛けています。一つだけ、心掛けて成長しようとしていることの例を挙げます。フレームの作り方としては、『二十歳の死』の時には出来なかったカットが、今は出来るようになった、そういう風な成長があります。例えば、今までは、必ずカットの中に一人の人物を捉えたとしても、どこかにもう一人の人物の一部が映り込んでいる、そちらの方から奥の人物を捉える、そういう風な撮り方をずっとしてきたんです。でも、今回の作品では、そういうことをしなかったシーンがあります。実際の人生の修復は難しい、でも映画の中でなら修復は出来る、そういうことを体現したシーンですけれども、アリスがカフェにルイを呼び出して、向かい合って座る場面がありますよね。キャメラはマリオンの肩越しにあって、メルヴィルを通してマリオンを撮ったのではなくて、初めてマリオンそのものを撮ったんです。そしてマリオンは一言、ごめんなさい(pardon)って言うんですね。私は監督として、そこでマリオンが、何を許してって言ったのだか分かりません。でも、その一言で”奇跡”が起きるんです。人生では、その一言で何かが解決するわけではないかもしれません。でも映画の中ではそれが出来るんです。それが映画の力です。そのシーンの中で、私はようやく、常に誰かの人物の肩越しに撮るということをせずに、そのカットを撮ることが出来ました。

質問:以前、『ルーベ、嘆きの光』(2019)の上映後にデプレシャン監督がトークをされた回があって、映画の一番最後にレア・セドゥが涙を流すシーンについて、涙が遅れてやってきて、そこでようやく涙を流すことが出来ると監督が仰っていたことが印象に残っています。今回の作品では、一番最初と最後に、マリオン・コティヤールが涙を流すシーンがあります。特に、最後に光に包まれて涙を流す姿が、『ルーベ、嘆きの光』の時のレア・セデゥと重なる気がしたのですが、その涙を流すという行為がこの映画の中でどのような意味を持っているのか、お聞かせください。
アルノー・デプレシャン:私の考えでは、“涙は修復する”と思っています。特に女性の涙はそうなんです。映画の中で、女性の登場人物に悲劇的なことが起こって、彼女が涙を流す、そういう場面にはとても心を揺さぶられます。男性の場合は愚かしいことが多い、その愚かしさ故に彼らを愛する、そういう男性に対する気持ちと女性の涙に対する気持ちというのは異なるのですけれども、女性が悲劇的な事柄に襲われて涙を流す時、気高いものに彼女たちは到達すると思っています。例えば、イングリッド・バーグマンの場合もそうですし、コメディの場合でも、『或る夜の出来事』(1934)のクローデット・コルベールもそうですよね。女性たちが映画の中で涙を流す時、彼女たちのステイタスは王女の地位に昇格するのです。

今回の作品のラストシーンはアメリカで撮影したのですが、マリオン・コティヤールと撮影監督のイリーナ・リュプチャンスキと共にアメリカに乗り込みました。最後のシーンはマリオン・コティヤールによるモノローグですが、一応は撮るには撮って、撮れてはいるけれども、ちょっと当初は想定していなかったことをやってみようと思ったんです。イリーナに、固定していたキャメラをやめて、手持ちにして、マリオンが座っているベッドに一緒に座ってみてもらうように頼みました。それでマリオンのクロースアップを撮るのですが、イリーナがどのように撮れば良いか聞くので、君の好きなようにやってと言い、私はどうすれば良いの?とマリオンが聞くので、君も好きなようにやってくれていいよと言って、二人に任せたのです。そして、二人の女性だけでベッドに座って、マリオンが用意されていたセリフを語るのをイリーナが撮る、その時、マリオン・コティヤールが涙を一粒、そして、二粒流した、それが“奇跡”というわけではないんです。僕にとっての奇跡というのは、その涙の後に、アリスが微笑んだ、その事です。二つの涙の粒、そして微笑み、それをイリーナのキャメラの前でマリオン・コティヤールがやってのけた、このテイクの素晴らしさに満足して、さあ、フランスに帰ろうと言ったのです。


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