OUTSIDE IN TOKYO
Apichatpong Weerasethakul INTERVIEW

アピチャッポン・ウィーラセタクン『光りの墓』インタヴュー

3. 主人公たちも観客の私たちも、まるで人形のようだ

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OIT:撮影についてお聞きしたいのですが、今回の作品では、カルロス・レイガダス監督からのご紹介ということでディエゴ・ガルシアが務めていて、カメラが全く動かない、フィックスですべて撮影されていると思うのですが、そのスタイルやフレーミング、カメラ位置というのはどのようにに決めていったのでしょうか?
アピチャッポン・ウィーラセタクン:この映画は撮影する前からフィックスカメラという風に決めていました。今回の作品で特別なのは、自分の故郷で撮っているということで、撮影前から頭の中にイメージが固まっていたと言えると思います。また、大きなフレームを観客に楽しませる“自由”を与えることが出来たと思うんですね。こっちを見ろ、あっちを見ろという風にパンニングするよりも観客に自由を与えられたと思っています。

OIT:今までの作品ですとロケーションの場所でリサーチを沢山行って、実際にそこに住んでいる方が出ていたり、そこの土地に根付いている話を物語の中に入れたりということをされてきたと思うんですが、そこは今回も同じなんでしょうか?
アピチャッポン・ウィーラセタクン:今回はジェン(ジェンジラー・ポンパット・ワイドナー)の存在自体に焦点を充てています。最初は病院とか街の中とか、夫のアメリカ人などについてのディテールを盛り込んでたんですけど、段々執筆が進むうちにジェンジラー本人の要素というか、存在感が大きくなっていき、彼女自信にフォーカスをしていくように変化していきました。

OIT:ジェンジラーの足の傷ですが、あれは本当に事故があったわけですよね?
アピチャッポン・ウィーラセタクン:はい、『トロピカル・マラディ』(04)の撮影準備中に事故にあったんです。

OIT:今回、実際に傷痕を見せているシーンがあるわけですけれども、彼女に抵抗感があるとかないとか、そういう会話の機会は撮影前に持たれたのでしょうか?
アピチャッポン・ウィーラセタクン:彼女は特に抵抗がなかったと思います。というのは、長年傷を負っている間にいろいろなテレビや映画の仕事がオファーされていたんですけど、彼女は恥ずかしいと思ってずっと断り続けていたんです。ただ、私の場合は彼女と写真のシリーズもやっていますし、ビデオのインスタレーションでは具体的に足についてのシリーズというのを作っていますので、私とならば彼女はOKだったのです。足の傷を生々しく見せるような写真のシリーズも発表していますから。ある意味では彼女にとっても、現実とフィクションの間をとりもつ日記のような形でこの映画の撮影が進行したのだと思います。そして彼女はこの映画の後、手術をしまして、その模様を私は撮影もしていますけれども、70%は成功だったという風に言っています。

OIT:その森の中の足のシーンは、凄く官能的で特別なシーン、素晴らしいシーンだと思いました。
アピチャッポン・ウィーラセタクン:インスピレーションを受けたのは中国の纏足という習慣です。女性が小さい足であればあるほどセクシーであるという風に言われていた古代の習慣がありまして、男の人はその小さな足を見ると欲情する、そしてその足を洗ってその水を飲むということ自体にもまた官能性を感じるということ、むしろ本当のセックスよりもそっちの方がエロティックであると感じるのだという、私はこの話を脚本執筆中に聞いて、非常に魅了されたのです。

OIT:時間がなくなってきたので最後の質問なのですが、具体的に二つのシーンについてお尋ねしたいのです。湖を人々が眺めに行く、そこで人が入れ替わり立ち替わりになるシーン、そして、顕微鏡で見た微生物と空が合成されている画があったと思うんですが、その二つについて教えて頂けますか?
アピチャッポン・ウィーラセタクン:湖を眺めて移動する人々については、撮影中の現場でインスピレーションを受けて入れるようにしたシーンですね。学校の病院っていうセッティングでエキストラを演出している時に、あまりにも演技が上手くない、堅い感じなのでどうしたらいいかなと思ったんです。それで、みんな人形なんだ、役割を演じてるだけなんだというシーンを作ろうと思ったわけです。この映画の構成の中でもシュールなパートに入っていくところに位置しているシーンなんですが、このエキストラも主人公たちも観客の私たちもまるで人形のようだということを示そうとしているわけです。それから細胞が空に浮かぶというのは、セルフ・レファレンス(自作への参照)として入れたと言えるんですけど、“ブンミおじさん”の人生の中で湖に生まれた一つのプロトスワという生き物、単細胞生物、として生まれたというシチュエーションが彼の人生の中に一つ書き込まれていたので、それを実際に撮影しようと思ったのです。ある意味では、この映画の中にブンミおじさんがカメオ出演しているということかもしれませんね。全体の構成の中でも表現の色々な位相がどんどん歪んでいくようなところにこのシーンが出て来ていると思うので、その歪みのスケール感みたいなものを出すためにこのシーンを取り込んだということが言えます。

OIT:ありがとうございました。今日はお忙しいところお話しを伺えてとても良かったです。2016年は、日本におけるアピチャッポン・イヤーということでとても楽しみにしています。
アピチャッポン・ウィーラセタクン:お話が出来て光栄です。日本でお会い出来ることを楽しみにしています。


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