OUTSIDE IN TOKYO
AMIR NADERI INTERVIEW

アミール・ナデリ『CUT』インタヴュー

3. 黒澤明監督の『天国と地獄』ではずっと一室で物語が語られ、
 小津安二郎は「Less is more」と考えた
 私もミニマムな空間でより多くのものを語りたいと思ったのです

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Q:屋内のジムを日本の象徴的な空間として描かれたということですが、主人公の秀二は、屋上で過去の名作映画を上映をしているわけですね。そうすると日本の抑圧的な空間である“ジム”から外に出て屋上で上映するのが映画である、そしてそこには世界が広がっているという舞台設計だということなのでしょうか?
AN:そういうことです。あの屋上のシーンというのは主人公の秀二サン、そして日本の古典名作映画、名匠達のハートが表現する場ではないかと思うんです。つまり私にとってのリアルシネマがあるべき場所だということで、今回のジムのロケーションと屋上のロケーションというのは美術の磯見(俊裕)さんという方に大変助けてもらいました。言葉の壁がありましたが、ゆっくりコミュニケーションをとりながら、まさに思う通りのロケーションを見つけて作り込むことができました。この屋上とジムというのは密接な関係にある二つのロケーションであると思います。それだけにその他のロケーションというのは、ネオンであったり、ありきたりな日本が出てこないように非常に気を使ったんですね。

またもう一つ気を使ったのがまさに主人公達がここの場所から来たんだなっていう風に思えるような場所、つまり銀座とかじゃなくて、本当に彼らが住んでいそうな、そういう何か匂いを持った場所、この国の若い人達がこういう所で生活しているんだと感じられるような場所というのを心がけました。最初に『CUT』を作る時にまず思ったのは、とにかく真の日本映画を作りたいということだったんですね。その時に思った作品が、私が大好きな黒澤明監督の『天国と地獄』なんですけど、あれはずっと一室で物語が語られて、いずれ外に出るわけですが、その一室の中に『天国と地獄』の監督が思う日本人的資質、キャラクター、人間関係も含め何かそういったもの全てが見られるように感じられる。小津安二郎が“少ないほうがより多くを語れる(Less is more)”と考えたように、よりミニマムな空間でより多くのものを語りたいということは、最初から意識していたことで、それによって観客もより多くのことを感じ取ることが出来るかもしれない。あるいはちょっと夕暮れから夜になっていく中でフィルムノワール的なものであったり、マジックアワー的なものであったり、そういった様々なものを感じとってもらえるんじゃないかと考えたんです。

そしてこの二つのある種孤立したロケーションなんですけれども、ここからカサヴェテスの分身でもある秀二サンが日本映画を通して世界映画の映画について語り、そしてまた日本に戻っていくというような構造になっている。自分自身も日本映画に対してオマージュを捧げているし、ひいては世界映画の映画にも触れてはいるんですけど、そのこともあってキャメラは4台回しています。まあ自分はエディターでもあって、編集を教えてもいますから。ちなみに編集とキャメラワークは黒澤明監督のオマージュでもあり、『サウンド・バリア』で観られたと思うんですが、そのキャメラワークによるキャラクターの心情の移り変わりを写していくやり方は溝口監督に対するオマージュであり、沈黙の使い方とステディカムの使い方は小津監督へのオマージュで、このコンビネーションを意図的に今回は使っているんです。そして、どの名監督達も音楽は一切必要としなかった、むしろ音楽があることが失礼な内容を作っていたので、音楽はもちろん使っていません。まあ、もともと僕の作品に、音楽はないんだけどね。

西島さんの才能と忍耐強さというのが、このスタイルに凄く助けになっています、ボディランゲージ、彼の沈黙の使い方、動き、怒り、全ての表現が脚本を書くにあたっての鉛筆の役割を果たしてくれました。他の役者さんも同様で、それぞれのキャラクターに、本当に内面に入ってくチャンスを彼らに与えられました。スタイルは自分の映画作りにとても重要です。この作品『CUT』に関しては、特に、日本のかつての作品の様式というのが重要だったのです。『雨月物語』のあの素晴らしい様式美!男(源十郎/森雅之)が女(京マチ子)の家へ行って誘惑される、そして、色々とあった挙句、やがて男が家に帰ってくるとそこには誰もいない、しかし、キャメラがワンカットの長回しで一周するとそこには妻(宮木/田中絹代)がいるわけですね!(もちろん宮木は落ち武者に殺されてしまっているわけだが!)そのような様式美というのが日本のシネマの一つの大きな特徴なので、そういったスタイルというのはこの作品にとってとても重要だったし、『CUT』のスタイルも日本的だと言えると思います。知識とか撮影技術というものは、今私が住んでいるアメリカから持って来た部分もあるかもしれないけれど、それをいかにして日本のテクスチャー、ハート、自分が感じるフィーリングというものにマッチさせるかということが今回の課題だったんです。自分は日本が大好きだし、でも簡単なことではなかったです。日本はやっぱりルールが厳しいし、組織的過ぎて旧態依然としているところもあるから、日本での映画作りは簡単ではないけれども、やはりディテールを大切にするところは大好きだし、自分の求めているものに挑戦する機会を与えてくれたわけですしね。

Q:西島さんがプレスの中で秀二は監督自身だというようなコメントを拝見したんですけれども、今回の西島さんの演技、監督が体現されたい秀二そのものになれたのかということと、あと常磐貴子さん、ヤクザの中にいる女性ということなんですけど、ノーメークで髪を短くして出演されてたんですけど、その辺の意図について教えてください。
AN:釜山映画祭に西島さんと一緒に行きまして、作品を一緒に観ました。お互いの顔をちらちら見ながら、「アミールさん、西島さん、あれは誰?」って言いながら秀二を見ていたんですね。三人目の秀二という男を僕ら二人が作り上げたわけです。非常に面白かったです、その体験は。秀二が僕らを見ていて、僕らが秀二を見ているというその関係、自分のハートから生まれた、自分のキャリアじゃない性格から生まれた映画、良きも悪いところも含めて、映画キャラクターですと、西島さんが日本語で日本文化を日本映画を通して日本のテクスチャーを通して自分を表現する助けを西島さんがしてくださってるんですよね。そのことによって日本の観客の方に伝えることが出来た。

常磐さんに関しては有名な女優さんということはよく分っています。50作以上の出演作があることも知っています。でも話している時に変わりたいんですと、変化を私は待っているんです、と言うんですね。同じ役とか同じストーリーばかりで、もう新しいことがしたいんです、だからナデリ監督と仕事がしたいんですとおっしゃって、自分の作品を観て下さって、常磐さんに僕を信じてくれと、変化をもたらしますと言ったんです。まずはルックスからと言って、髪を切りましょう、爪も切ってしまいましょう、洋服も自分のシャツを貸しまして着てもらいました。ネズミのようなキャラクターを演じてほしいんですと言ったんです。外には行かない、食事も中にいる、ジムの中で起きてることを目で追う、目で追う、そういうネズミのような役、あまり台詞はないけれども“目”が必要なんです、感情と目と、余計な説明はなくそれだけを見せたい。他は男性ばかりなので、そこに彼女の味を加味してもらいたい、それに加えて西島さんとのケミストリーは素晴らしいものでした!


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